「墨俣一夜城」は、平成3年4月に開館した比較的新しいお城。もともとこの地には、織田信長の美濃侵攻の際に豊臣秀吉が一夜にして建てたと言われる砦「墨俣城」がありました。
現在は天守閣のある城郭として建てられており、城内は豊臣秀吉関連の資料館として公開されています。城の入り口には豊臣秀吉の像が鎮座しており、この地が豊臣秀吉と深いつながりがあることがうかがい知れます。
豊臣秀吉の出世のスタートと言われているのがこの「墨俣一夜城」。そのためかお城へ架かる橋も「出世橋」、湧いている水は「出世の泉」と、これでもかというくらい出世という言葉を当てています。
内部は豊臣秀吉の資料が豊富で、秀吉ファンにとって特に興味深い内容となっています。日本の歴史の中でも特に戦国時代が好きな方は、尾張と美濃で繰り広げられた国盗りの様子がよくわかる資料が多いので、興味を持ってご覧いただけると思います。
「墨俣一夜城」は同じ大垣市内にある「大垣城」をまねて造ったと言われています。一夜にして造られたと言われていますが、当時は「砦」のようなものを「城」と呼んでいたので、「砦」の建設であれば短期間で造られたことは確かだと思われます。ただ、敵の攻撃を追い払いながら、約3000人を動員して数日間で造られたということで、その早さには驚かざるを得ません。
「墨俣一夜城」を建設した頃の秀吉は正確には木下藤吉郎でしたが、この「墨俣一夜城」建設の功績が認められ、日本の歴史の表舞台に登場するようになりました。そのことからもこの地は出世を願う人のスポットとして注目されるようになっていったようです。
敷地内には豊国神社もあります。豊国神社とは豊臣秀吉を祀る神社のことで、豊臣秀吉ゆかりの地に建てられています。この神社にも「出世之神」というのぼりが掲げられています。
豊臣秀吉は千成瓢箪を馬印に、次々と手柄を立て出世していったと言われることから、こちらのお城では「願かけ出世ひょうたん」というユニークな願かけがあります。瓢箪を城内の売店で購入し、直接願い事を記入し奉納します。
※2024年12月9日(月)から2025年1月3日(金)まで休館します。最新情報は公式サイトなどをご確認ください。