「だから不思議なことに、宇賀神なんですよ、それはきっと」
2022シーズン、関根貴大は自身が変化したことを感じていた。その理由についてしつこいくらいに問い続けると、声のトーンを一段階上げて先輩の名前を挙げた。
宇賀神とはもちろん、2021シーズンまで浦和レッズに所属し、現在はFC岐阜でプレーする宇賀神友弥のことだ。関根にとってはトップチームだけではなく、育成組織でも先輩にあたる。そして、こういうときの関根は、心を許す先輩に対して愛情と敬意をもって呼び捨てにすることがある点にも言及しておこう。
関根にとって、2022年はどんなシーズンだったのか。
そう尋ねると、「えー…うーん…」としばらく考え込んでからポツリと言葉を発した。
「我慢」
J1リーグでは手術後の2試合を含めて全34試合中30試合に出場した。全公式戦で欠場したのはその4試合とYBCルヴァンカッププライムステージ準々決勝の第2戦、名古屋グランパス戦のみだった。
AFCチャンピオンズリーグ2022でも、メンバーを入れ替えて戦ったグループステージからノックアウトステージ準決勝まで全試合に出場。欠場した試合はすべてメンバー外。ベンチで出番を待ったまま試合を終えることは1度もなかった。
十分すぎる数字だ。これで不服だと言うのなら、その意見に不満を持つ選手はチーム内外にごまんといるだろう。
「でも、内容を見たら『我慢』だったと思います。シーズン序盤は苦しみのほうが大きかったですね。ポジションもあまり決まっていませんでしたし」
2022年の関根は、育成組織時代の恩師である池田伸康ユース監督やトップチームで尊敬する先輩だった平川忠亮トップチームコーチが背負った14番を受け継ぎ、副キャプテンに復帰した。
チームを牽引していた先輩がチームを去ったこともあり、「若手の中から選ばれただけ」と感じていた2年前とは異なり、若返ったチームの中心となって戦うことを決意した。チームのためにプレーすることを最優先に考えた。
それはトップチーム昇格当初には想像もできなかったことだった。
新加入会見後の囲み取材で声が小さいことをベテランの記者に指摘されて謝ることからプロ生活をスタートさせ、ちょっとひねくれたところを見せながらも憎めない性格で先輩から可愛がられる弟キャラ。百戦錬磨の先輩たちのあとを付いていき、ときに守られながら、自由にプレーしていたのが、プロになったばかりの関根だった。
もっとも、それはあくまで年下の立場だった頃の印象。育成組織の年長だった時代はどうだったのだろうか。
「いや全然ですよ。自分のことしか考えていませんでした」
もともと先頭に立ったり、キャプテンシーを発揮したりするタイプではなかった。ではなぜ、そうなったのか。
「年齢が上になって、若手選手があまりにも増えましたから。必然的に周りを見ないといけない立場になった。そして、急にたくさんの選手がいなくなり、新しい選手がたくさん入ってきてメンバーが入れ替わったから、自分自身が変わっても、変に思われないじゃないですか」
例えば、試合後、若手選手に声を掛ける。励ましの声もあれば、落ち込んでいるところをあえてからかうようにして慰めることもある。
「そんな姿を、平川コーチに見られたら、『あ、まずい』と思います。『お前、あんなに子どもだったのに、そんなこと言うようになったのか』って言われそうじゃないですか」
そう言って笑うと、言葉を続ける。
「でも、今のチームの中にはそう思う選手はもういません。自分が変わっても変な目で見られることはない。変わりやすい環境だったのかもしれませんね」
妙に客観視しているが、疑問は残る。そうだとしても、変わろうとしなければ変われないのではないか。
「変わろうと思っていたわけではありませんが、考え方は変わったのかもしれません。クラブのために何かをしなければいけない立場になったら、自然と発言の一つひとつが変わってくるのかもしれない。
周りにこう見られたいから、ではなく、こういうチームにしたいからこういうことを言わないといけない。チームメートからどう思われようが、チームとしては雰囲気がいいほうがいいから、そういう声掛けをするようになったのかもしれません」
今シーズン、事あるごとにチームメートから関根の名前を聞いた。
あるときは大久保智明から、あるときは宮本優太から、そして、あるときは松崎快から。彼らは関根に励まされ、アドバイスを受けた。
そして、聞かれるわけでもなく、自然発生的に第三者に伝えた。それは関根の言葉が彼らの心に残っていたことを意味する。
そう伝えると、関根は思い出したように宇賀神の名前を挙げたのだ。
「もちろん、僕から聞くこともありましたが、ウガ君は『こうした方がいいんじゃない?』って向こうから言ってきてくれるんです。初めの頃は、同じポジションの後輩に何でそんなアドバイスをするのか分からなかった。だって、ライバルじゃないですか」
まったく同じだった。松崎や大久保は同時に出場することもあるが、同じポジションのライバルである。宮本は関根がサイドバックでプレーした際に出場機会を失ったひとりだった。
「なぜ自分がこうなっていったかと言うと、先輩方の影響だと思います。そういう先輩たちの言動を勝手に吸収しているんだなと。自分自身、『何でライバルの後輩にアドバイスをしているんだろう?』と客観的に思うことがあります。でも、話すことで自分の考えも整理できるし、後輩たちが何かきっかけを掴んでくれたらいいなと思います。だからプラスのことしかないんですよね」
今季、関根にとっての新たなチャレンジはサイドバックで先発出場したことだった。
100%納得できたわけではない。しかし、チームプレーに徹し、その中で自分のプレーを発揮し切ることが難しかった今シーズンにおいて、サイドバックでは「失うものはない」、「このポジションなら、これしかできない」と半ば開き直ってプレーしていた。
その姿を羨望の眼差しで見ていたのが、宮本だった。
「関根選手がサイドバックで生き生きしている姿を見て、自分は何をしているんだろうと思いました」
その言葉を受け、関根は今、宮本に伝えたいことを話し始める。
「失うものがなかったですから。もし、自分のせいで10点取られたとしても、サイドバックではそれが自分の実力だと思ってプレーしていました。だからミヤに言いたいのは、『それくらいの気持ちでやれよ』ということ。彼は真面目だから、難しく考え過ぎてしまうところがある」
そしてしばらく話を続けると、少しだけ間を開けて思いついたように続けた。
「僕が前でプレーしているとき、逆にみんなにそう思われているかもしれませんね。『サイドバックのほうが生き生きしているんじゃない?』って。それはそうなんですよ。違うポジションで少しうまくいったら勢いに乗れるし、長年やってきたポジションでうまくいかなかったら、つらい。だから、ミヤへのアドバイスは、自分へのものでもあるんですよ。自分に返ってくるんです」
今季の自身のプレーには納得できなかった。チーム内の立場がそうであるように、ピッチ内でも生かされる選手というより生かす選手になった。
そのことが評価されたから、さまざまなポジションで試合に出続けたのだろう。
直接アドバイスを受けた前述の選手たちに加え、攻撃を組み立てる立場の小泉佳穂も「関根選手はこちらが何か言わなくてもポジションを取ってくれるからプレーしやすい」と称賛する。「その良さが伝わり切っていない」とも。
関根自身、それがいいとは思っていない。それでいいとも思っていない。若いころは尖っていてギラギラしていたと自覚する。そして今は「丸くなってしまった」とも言う。
「こんなんじゃよくない」
「落ち着いてしまうのはよくない」
「ピッチ上のことは成長していない」
自分自身に辛辣な言葉を向ける。だからといって10年前に戻るつもりもない。理想は、ピッチ外での立ち振る舞いも考えながら、ピッチでは周りを生かし、そして自分もギラギラしたプレーを見せること。
それが簡単ではないことは関根自身が一番分かっている。2022年の苦労から痛感している。でも、あえて言う。
「まあ、見ててくださいよ」
2023年も関根はもがくのだろう。そのもがきは関根自身の成長につながり、見ている者の魂を揺さぶる。先輩たちから学んできたことも含め、それが浦和レッズで闘うということなのだろう。
(取材・文/菊地正典)